最新の記事一覧

--/--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

08/02

沖縄に行ってきました。

僕にとって初沖縄です。
ただし、沖縄本島は飛行機の乗り継ぎのみで、石垣島と西表島がメインの滞在です。

石垣空港で飛行機を降りるなり、東京の数倍は強い日差しに圧倒されます。

20年ほど前に、モルディブに行ったことがありますが、日焼けに対してあまりにも無頓着だった僕は、無謀にも到着日に日焼け止めを一切塗らずに半そで短パンで炎天下を1日歩き回り、その後の1週間の滞在中痛みでもだえ苦しんだことがあります。。おまけに熱まで出ました。

今度こそはあんなばかな過ちを犯してはなりません。
ちゃんと日焼け止めを持参してきました。さっそくホテルで肌が露出している部分に塗りたくります。

P1000044.jpg


今回の旅の目的は、「大自然と一体化!」です。

一番のイベントは石垣島でのダイビングと、西表島での沢登りツアーとカヌーです。


ダイビングは17年ほど前にライセンスを取ったのですが、Cカード取得コースの受講中に耳抜きがなかなかできなくて(実際まったくできないに近かった)、ライセンス取得と同時に止めてしまっていました。
本当は続けたかったのですが、さすがに痛い思いをしてまで潜る気はしませんでしたので。。

それが、5年ほど前に鼻の手術をした際に、ついでに副鼻腔の間の通気性をよくする工事もしまして、飛行機に乗ってもさほど苦痛がなく耳が抜けるようになりました。

で昨年秋に屋久島に行った際、恐る恐るリハビリのファンダイビングをしてみたのですが、痛いのは痛いですが、昔よりかなりマシになっていたので、今回はライセンス取得当時の「憧れ」だった南洋の島のファンダイビングを決行することにしたというわけです。

ダイビングの技術自体は、昨年のリハビリダイビングの際に、インストラクターから「問題ない」というお墨付きはもらっています。ただ、やはり耳については当日の体調やその他いろいろな条件に左右されますので、実際に潜ってみるまでは緊張します。というか、正直かなり恐怖です。

それでも、やはりCカードを取ったからには、一度きれいなは熱帯魚の群れに囲まれて潜ってみたかったんですよね。
17年越しの「夢」です。


ボート上で重い機材を背負い、17年ぶりのバックロールエントリー。
屋久島ではすべてビーチダイブでした。

頭から海中に落ちた瞬間から、きれいな青い海底が見えます。
ただ、2mぐらい潜行したところから早速耳の痛みが始まりました。

ああ、やばい。。
痛いです。かなり。

ほかのツアー参加者の迷惑になりますので、痛くても簡単にはギブアップしたくありません。
そのまま潜行します。(これが後日大変なことに。。。)

必死に耳抜きを繰り返しながら、なんとか痛さを我慢しつつ10mほど下の待ち合わせ場所まで潜りました。

が、そこからさらに潜行しだしたときに、眉間に強い痛みと、ミシミシという音が。
いわゆる、サイナススクイズです。涙もじわじわでてきます。

というわけで、1本目は痛さを我慢するのに必死で、あまり内容を覚えていません。。^^;)

ボートにあがったら、案の定、マスクの中は鼻血です。
(実際は鼻血ではなく、潜降時に圧平衡ができず副鼻腔中の粘膜から滲出した血液)

7-13 (107)


休憩後、ポイントを移動して2本目。
今度は、1本目よりはだいぶましになりました。

キューキューいいながらではありますが、なんとか耳は抜けていきます。
サイナススクイズもありますが、こちらも1本目よりはひどくありません。

という感じで、最初はきつかったものの、2本目からはなんとか楽しめるようになりました。

7-13 (100)



3本目は石垣島で有名なマンタスポットに潜りました。

洋上はダイビング客を乗せたボートで大混雑です。

ポイントから離れた場所にアンカーを下ろさざるを得ず、潜行したあとポイントまで100mほど泳ぐはめに。

P1000131.jpg


あとはエアーを温存するため、海底の岩にしがみついてひたすら待機します。

コンディションがいいときは、頭上に10枚(マンタは枚数で数えるらしい)ほどのマンタが群舞するらしいのですが、水温が30度以上と高すぎるため、30分以上も待ったのにもかかわらずこの日は1枚も出現せず。がっくり。

ちなみに、マンタは、体についた寄生虫をとってもらうために、このポイントに集まるのだそうです。
マンタの寄生虫をえさにする魚がいっぱいいる場所なんですね。


とりあえず、3本目を潜る頃には、こんな風に海面を見上げて泡の動きを楽しむ余裕もできてきました。

7-13 (126)


2日目の様子は次の機会に。








06/20



土曜日にNHK教育テレビ「"スコラ"坂本龍一 音楽の学校」の最終回の放送がありました。

YMOの3人がひとつのフレームに収まっている映像を見るだけで、なんというか、とても幸せです。


最近はまたYMOとしての活動を再開し始めているようですね。

最近の曲や活動にはそれほど興味があるわけではないのですが、まだ3人とも皆さん元気で、かつ一緒に音楽をやってくれているという事実だけで、とてもうれしいです。


小学校のとき、それまで音楽というものにさほど強い関心がなかった僕の耳にいきなり飛び込んできた衝撃的な音、それがYMOでした。いまとなっては、どういうきっかけで聞き始めるようになったのか、よく覚えていないんですが。

お小遣いもそんなにありませんでしたから、カセットテープのベスト版を、それこそ宝物のように大事に大事に毎日のように聞き続けていたのを思い出します。


テクノだから、電子音だから、興味を持ったというのではないんですよね。
一人っ子ですから、兄や姉から洋楽や邦楽の洗礼をうけることもなく、つまり音楽というものをそれまでほとんどしらなかったわけで、小学生の僕にとってはまさに「YMO = 音楽」でした。

シンセサイザーというもの自体が憧れの対象ではありましたが、僕が最も魅惑されていたのは、その「曲」でした。

テンションを使った複雑なコード進行。その上に乗っかるメロディの美しさ。

主に坂本さんの曲が多かったと思います。


小学校6年生のときに、YAMAHAのポータサウンドという小さなキーボードを買ってもらい、簡単な分数コードから始めて、sus4や7th、9th、M7、dim、aug等々、もう夢中になって覚えていきました。

スコア譜に載っているコードネームを抑えると、自分の好きな曲のこの部分と同じ響きが得られる。それはそれは信じられないほどすばらしい経験でした。

中学校に入ると、担任が音楽の先生だったこともあり、先生との毎日の交換日記?みたいなものには、和声やスケール等の質問ばかり。もう楽しくて仕方がありませんでした。

その頃は「コードを食べて生きてる」と自分自身で思ってたくらいに、テンションコードの響きに完全に魅せられていて、毎日そればかり考えていました。

多くの友達がはまっていたガンダム等のアニメやジャンプ等の漫画にも見向きもせず。

80年代のきらびやかなアイドル歌手達にもほとんど関心なし。スポーツや女の子にも。


部活動でブラバンやってましたので、放課後のサックスの練習が終わった後も、家に帰ってすぐにキーボードに向かってました。まさに音楽漬けの日々。


確か中学校3年ぐらいのときに、憧れのシンセサイザーを始めて買ってもらいました。
コルグのMono/Polyというモノフォニックとポリフォニックを切り替えて使うタイプのシンセサイザーで、VCOが4つもあって、ユニゾンにするとものすごく分厚い音がしてました。

ただポリフォニックの状態でも最大4音しかでず、左手でルートを押さえて、右手で4声で構成されるコードを押さえようとすると、音が足りなくなるのでした。。。

これはかなりショックで、なぜもう少しだけ我侭を言って、6音出せるコルグのPolySixや、ローランドのJuno6を買ってもらわなかったのかと、子供心に何度後悔したかわかりません。

そのフラストレーションを晴らすために、学校では短い休み時間に、一日に何度も音楽室へ走ってはピアノを弾いていたのでした。

好きなだけ音数がでて、サスティンペダルを踏み続けても、音が不自然に消えることは無い。

ピアノってなんてすばらしい楽器なのかと(笑)


成長が早く、またなんでも吸収してしまう年頃ですから、そんな生活を毎日しているうちに、耳で聞いた曲はほとんどすぐに弾ける、というかコードがとれるようになりました。

で、その後は、耳で聞いてもすぐにはコードがわからない、「変な」コードが使われている曲を探す旅が始まるわけです。。。これは、また別の機会にでも書いてみようと思います。



話が大幅にずれましたが、小さい頃からの憧れのミュージシャンが、自分が年をとってもなお、まだ現役で、かつ仲良く音楽をやってるって、本当にうれしいことなんですよね。

なんというか、一緒に年をとっていく姿を見届けていられるというか。

両親がどんなに年をとっても仲良く過ごしている姿を見ている子供の気分とでもいいましょうか。。


細野さんはすでに還暦を越えられていますが、これからも3人とも元気で音楽を続けていってほしいです。


06/20

いずれブログを書き始めるときは、このタイトルではじめようと思ってました。


ためしに Google で検索すると、似たようなフレーズがでるわでるわ。。

土佐日記なんて真剣に読んだことがある人は少ないと思うんですが、このフレーズだけは頭に残っている人が多いんでしょうね。


かくいう自分もその一人で。

土佐日記っていつ習ったんでしたっけ。高校?


「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」っていうから、確か作者は女流作家だったよな、なんて思ったら紀貫之だった。。全然忘れてる...orz



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。